南北朝時代
南北朝時代、延元2年(1337)5月11日、石見国の南朝方の三隅兼通は、
北朝方の益田氏の勢力下にあった阿武郡に進出し、福田・宇生賀を焼き払いました。
茶臼山・亀甲山城跡もこの時代からのものでしょう。室町時代になると、
大内氏は守護大名として台頭し、阿武御領の年貢収納を請け負い、やがて完全に
押領します。大内盛見は、筑前・豊前の守護となり、日明貿易港博多を支配、
応永15年(1408)豊前宇佐八幡宮を造営しますが、その時の材木奉行が奈古若狭守重光です。
彼と奈古の関係はわかりませんが、奈古に所領があったことは
「閥閲録88波多野仁右ヱ門」でわかります。戦国時代、阿武郡は益田氏と吉見氏の
対立の舞台となりました。吉見氏は須子若狭守秀国を奈古浦北西の櫛崎山城城主としました。
秀国は櫛先山城を撤退。しかし吉見正頼が阿武郡を回復したとき「鷲江山」で激戦があり、
正頼が感状を出ました。
貰ったのは秀国で、鷲江山は櫛崎山の雅称と考えられます。
いま山上に石垣はありませんが、中世後期の典型的な土塁構造の遺構が残っています。

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